時計デザイナーの祖

時計デザイナーの祖といわれるのが、ジェラルド・ジェンタです。 オーデマピゲのロイヤルオークやノーチラス、ブルガリ・ブルガリを手がけた彼は、しばしば天才と称されます。しかしその歩みが示すものとは、ジェンタ氏の非凡なまでの努力がありました。その出だしは、そんなはなばなしいものではありませんでした。 スイスに生まれたジェンタは、学校で彫金を学んだが、就職先はひとつもありませんでした。彼はジュエリーの世界に失望し、フリーランスのデザイナーになりました。この時代、ジェンタ氏のデザイン料はデッサン1枚につき、わずか10スイスフランだったようです。後にジェンタ氏は過去を振り返ってこう漏らしました。「本当はクチュリエのデザイナーになりたかった。しかしスイスにはチョコレートと時計産業しかなかった。」と。フリーのデザイナーとして生計を立てるようになったジェンタ氏が、最初期に何をデザインしていたのか、記録は残っていません。しかしユニバーサル・ジュネーヴやオメガ「コンステレーション」のケースデザインに関わっていたことは知られています。そんなジェンタ氏に転機が訪れたのは、68年のことです。彼のデザインが、ジュネーヴのデザイン賞を獲得しました。ジェンタ氏は自らのデザイン事務所を会社組織に変更し、いよいよ本格的に、時計デザインに取り組むこととなりました。

ジェラルド・ジェンタとロイヤル・オーク

自らのデザイン事務所を会社にした頃、ジェンタ氏はひとつの望みを持っていました。それは、デザイナーとして時計のデザイン全体を請け負うことでした。それ以前、時計のデザイナーには、部分的な役割しか与えられていませんでした。あるデザイナーはケース、あるデザイナーは文字盤、そしてあるデザイナーは針という感じです。そんななか、まったく新しいスポーツウォッチを作ること、というオーデマ ピゲのオファーを受けたジェンタ氏は、わずか1日でデッサンを完成させました。それが72年に発表されたブレスレットとケースを一体化させた時計、オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク」です。時計の世界で偉大なデザインを見つけるのは、それほど簡単なことではありません。偉大なデザインとは、瞬時にそれと見分けることのできるモデルを言います。このロイヤル オークは、こうしたモデルのひとつだといえるでしょう。